「女性初」が押し上げた皮肉な順位 ~下位低迷を恒例行事にしてはいけない~
117位という数字の中身
世界経済フォーラム(WEF)が9月16日、2026年版のジェンダーギャップ指数を発表しました。日本は145カ国・地域中117位。前年の148カ国中118位から、順位をひとつ上げています。ちなみに、毎年6月頃の発表がここまでずれ込んだのか。メディアのどなたか教えてください。
先に申し上げておくと、117位と118位の差に意味はありません。対象国の数が148から145に減っており、単純に比較できる数字ではありません。にもかかわらず「一つ改善」という見出しも散見されます。この国がこの問題を扱うときの姿勢が凝縮されているように思えてなりません。
G7では、引き続き最下位です。東アジアに目を向けても、中国は96位、韓国は101位。いずれも日本より上です。フィリピンは20位、シンガポールは31位。「アジアだから仕方ない」という言い訳は、もう20年近く前から成り立っていません。
政治が上がった、という皮肉
順位を押し上げたのは政治分野です。理由は明確です。女性首相が誕生したからです。それも、ジェンダー平等への意欲を感じ取ることが困難な首相です。
この分野は三つの指標で測られます。国会議員(衆院議員)に占める女性比率、閣僚に占める女性比率、そして過去50年間における行政府の長の在任年数です。日本はこれまで、三つ目をゼロで計上し続けてきました。現首相の就任により、その欄が初めて埋まった。だから政治分野のスコアが動いた。それだけのことです。
そして残る二つ、衆院議員比率と閣僚比率は、いずれも下がっています。
つまり政治分野の改善とは、女性が政治の場に増えたことを意味していません。一人の女性が最上位のポストに就いたという、ただ一点の変化です。
首相の座に就いた女性が、ジェンダーをめぐる課題の解決に前向きかといえば、率直に言ってそうは見えない。選択的夫婦別姓をはじめ、この国の女性が長く求めてきた制度改正に対する姿勢は、むしろ後ろ向きです。「女性初」であることと、女性が置かれた構造を変えることとは、まったく別のことなのだと、これほど明瞭に示された例も珍しい。
男性中心に設計された組織、いわゆる男性標準モデルのなかで、その設計そのものを問わずに上りつめた女性は、しばしば「例外の証明」として機能します。「名誉男性」とも呼ばれます。現首相が到達したという事実が、「だから女性にも道は開かれている」という物語に回収され、構造への問いを封じてしまう。今回のスコア上昇は、まさにその構図を数字の上で再現してみせました。
皮肉というほかありません。
経済こそ待ったなし
そしてもう一方、経済分野です。こちらは前年の112位から119位へ、はっきりと後退しました。スコアも0.613から0.609に下がっています。
何が足を引っ張っているのか。管理職に占める女性比率と、賃金格差です。
この二つは、切り離して語れません。管理職に上がれないから賃金が上がらない。賃金が上がらないから、夫婦のあいだで「稼ぎの少ないほうがケアを担う」という選択が合理的に見えてしまう。そして、その役割は女性に偏ってしまう。
ケアを担えば昇進の列から外れる→管理職比率が下がる。この循環が、何十年も回り続けています。
私がずっと申し上げてきたのは、ここに手を入れる方法はひとつしかない、ということです。男性の働き方を変えることです。
日本の企業社会は、長時間働けること、転勤を断らないこと、家庭の事情で仕事を中断しないことを前提に設計されています。この前提を満たす人間を「標準」と呼び、その標準に合わせて評価と昇進の仕組みが組まれている。標準から外れた者は、能力ではなく前提を満たせないという理由で、静かに列から外される。
その標準とは、ケアを担わない人間のことです。そして現実には、その多くが男性です。
私はこれを「二重の制度的制約」と呼んでいます。企業の人事制度と、家庭内の規範。この二つが噛み合って、個人を挟み撃ちにする。私が取材と調査を重ねてきた駐夫――配偶者の海外赴任に同行してキャリアを中断した男性たち――は、その挟み撃ちを男性の側から経験した人たちでした。彼らが直面したのは、「休職制度がない」「戻る席がない」「一度外れた者は評価の対象にならない」という、きわめて事務的な壁です。ジェンダー規範以前に、制度が想定していない。
そして重要なのは、この壁は女性が何十年も前からぶつかり続けてきたものと、まったく同じ壁だったということです。男性が踏んだから可視化されたという側面もありますが、壁そのものは昔からそこにありました。
いわば、男性が追体験しているわけです。
従って「女性活躍」という言葉に、私はどうしても引っかかります。社会の設計は男性標準のまま据え置いて、女性にだけ「活躍」を求める。ルールも競技場もそのままで、片方にだけ頑張れと言っている。それで経済スコアが上がるはずがない。現に、上がっていません。
長時間労働を前提とした働き方、会社都合の転勤、労働時間の長さを勤勉さの代理指標とする人事評価。ここにメスを入れないかぎり、管理職比率も賃金格差も動きません。女性の意識や努力の問題ではなく、男性の働き方の問題です。何度でも申し上げます。
三つの指標が指し示す、同じひとつの事実
ちなみに、男女格差を測る国際指標は、ジェンダーギャップ指数だけではありません。国連開発計画(UNDP)が公表するジェンダー開発指数(GDI)とジェンダー不平等指数(GII)があります。手元の数字では、日本はGDIが193カ国中89位、GIIは172カ国中22位でした。
GIIの22位という数字を持ち出して、「日本はそれほど悪くない」「ギャップ指数の測り方が偏っているだけだ」と言う人が、毎年必ず現れます。
なぜこれほど順位が違うのか。GIIは、妊産婦死亡率、若年出産率、中等教育以上の修了率、国会議員比率、労働参加率などで構成されています。医療と教育の水準が高い国は、その時点で高く出る。日本が22位に位置するのは、女性が安全に出産でき、教育を受けられる国だからです。100%に近い識字率、世界に冠たる国民皆保険制度。誇るべき数値です。
片や、GDIは、人間開発指数を男女別に算出して比べたものです。こちらで日本が89位にとどまる最大の要因は、推定勤労所得の男女差です。
今回のジェンダーギャップ指数は、豊かさの水準を一切問いません。測るのは、男女の間の相対的な差だけです。どれほど豊かでも、その豊かさが男女で偏っていれば順位は下がりのです。
三つの順位を並べると、浮かび上がるのは①女性が健康に生き、高い教育を受けられる国であり②同時に、その女性たちを意思決定と所得の場から遠ざけているーーということです。
能力が足りないのではありません。育てた能力を、使っていないのです。生かし切れていないのです。生かす場が与えられていないのです。
つまり、どの指標を持ち出しても結論は変わりません。それでも毎年、「別の指標では上位だ」という反論が出て、そこで議論が止まる。この往復こそが、私たちが十数年にわたって繰り返してきたものです。
慣れが諦めに変わる前に
今回最も危惧しているのは、順位でも、スコアでもありません。受け止め方です。
毎年この時期になると同じ報道が流れ、同じような論評が並び、数日で消えていく。「また最下位か」「相変わらずだね」。その言葉のあとに続くものが、もう何年も見当たりません。
喉元過ぎれば熱さを忘れる。怒りが風化して諦めになり、諦めが慣れになる。慣れたものは、年中行事になります。桜が咲けば花見をするように、毎年の恒例行事の如く、ジェンダーギャップ指数の低さを嘆く。嘆いて、終わる。
それは最も避けなければならない事態です。
この指数は、国の実力を測る指標のひとつでもあります。人口が減り、労働力が細っていく国が、働き手の半分の能力を構造的に持て余している。これを放置したまま経済成長を語るのは、控えめに言って無理があるでしょう。
少子化についても同じことで、家庭内でケアの負担が一方に偏っている限り、第二子以降の出産は遠のきます。これは、日経新聞への拙投書記事「少子化、社会の意識変革が必要」などで指摘しています。
ジェンダーギャップは、女性だけの課題ではありません。この国が沈むか否かの問題です。
声を上げ続ける理由
順位が一つ上がったことに、意味を見出す必要はありません。政治分野の改善に、希望を読み取る必要もありません。
注視すべきは、経済が動いていないという一点です。それを動かす鍵は、女性ではなく男性の側にあります。自分たちの働き方が、誰かのキャリアを削って成り立っているという事実に、どれだけの男性が向き合えるか。
来年の発表時、また同じことを書いているかもしれません。書いていたとしても、それを恒例行事にするつもりはありません。
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